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抒情 -新湊内川ー 

 



立ち止まらなきゃ見えない景色だってあるんだ

 
映画「人生の約束」より


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前回の記事に書いた万葉線の路面電車「ドラえもん」にゆられて、新湊の内川へ。

ここは高岡市ではなく、お隣の射水市になります。「日本のベニス」と呼ばれているとか。約2キロ弱の河川に多くの漁船が停泊し、両岸の家並みが美しい。まるで映画のセットのようです(セットではなくリアルな生活な場)。ここで映画「人生の約束」のロケがおこなわれました。曳山祭りで有名な内川。お祭りの時にまた行ってみたいです。それにしてもここの夕景を撮りたかったなぁ!

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いちおう、映画の予告編を載せておきますね。かなりよかったです!






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高岡の街角で 

 



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富山県高岡市、初めて行きました。銅器など鋳物が古来より盛ん。高岡は加賀藩(前田利長が造った町)だったのですね。金沢から高岡まで新幹線で約20分。その間、すべて加賀百万石の領地だったとは!戦災に遭わなかったので、古い町並みが残っています。高岡であんみつを2回食べたのですが、めちゃ、美味しいのです。金沢のお菓子はとても美味しいですよね。それと同じです。高岡、さすが元加賀藩だとあんみつをいただきながら感心いたしました。


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合掌造りの里、五箇山を訪ねて 

 



・・・山里としてはこの五箇山郷の方がはるかに天離って下界に遠く、
さらには独立性の強い文化を持つあたり、
文字通り日本の桃源郷とよばれてもよさそうである。

司馬遼太郎

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朝、前日の雨で水分をたっぷりふくんだ茅葺の屋根から水蒸気が立ち上る

先日、妹と小さな旅をしました。妹と一緒の旅はすべての面で楽ちんです。宿の手配からスケジュールの管理まで、すべてやってくれるので、私はついてゆくだけでよいのです。今回は富山県のJR高岡駅で待ち合わせ。五箇山と高岡を訪ねました。

五箇山は、合掌造りの里として岐阜県の白川郷とともに世界遺産です。冒頭の司馬遼太郎の「街道を行く」に述べられている通りの里でした。数年前に行った白川郷もステキでしたが、なんせ銀座並みに人が多い。その点、五箇山は素朴で、まさに日本の原風景の里。おとぎ話から抜け出たような集落が現実に存在しているんですね!

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せっかくなので、五箇山の相倉集落の築250年の合掌造りの民宿に泊まりました。ご主人が、集落の歴史や昔の様子を伝えるビデオなど見せてくださいました。また「こきりこ節」の披露も。世界遺産を維持してゆくのには、たいへんなご苦労があるんですね。

この五箇山と白川郷は、県こそ違いますが、同じ庄川流域です。知らなかったのですが、この庄川流域には以前、合掌造りの集落がほかにもいくつかあったそうです。ところが離村などで他は消滅し、この二つが残ったそうです。

夕食は、囲炉裏を囲んで海外からのお客様などと一緒に、下の写真のをいただきました。イワナも鯉のあらいもとても新鮮。また天ぷらや煮物は山菜で、初めていただくめずらしい山菜もたくさんあり、とても美味しかったです。蓋をとるのを忘れていましたが、お椀の中には色とりどりの煮物(山菜)が入っています。

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2013年夏の白川郷の記事
は←クリックしてください。





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戸隠古道をゆく 

 


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「古道」という響きにいつも惹かれます。特にいにしえの参詣道。かつて修験者たちが歩いた道。そうした古道の多くは開発が進んだりして、今はよくわからなくなった道もおおいですが、戸隠は昔の雰囲気をとどめています。去年は「熊野古道」の一部を歩きました。今年は、信州の「戸隠古道」を約20キロ。険しいところもありましたが、戸隠五社をめぐりました。涼しく空気が澄んでいて、リフレッシュできました。

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熊野にはないものが戸隠にはあります。地名とは異なり、熊野にはクマはほとんどいないのですが(いることはいますが、地域の絶滅危惧種)、戸隠は............こんな立て看板があちこちに。なぜ修験者たちが鈴を鳴らして歩いていたか、よくわかります。魔除けにくわえ、クマやオオカミ除けだったのでしょう。鈴をリンリン鳴らして歩けば大丈夫とのこと。クマは軽井沢や奥日光にもいるし、怖がっていてはキリがないので......

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途中、池が二つほどあります。そのなかでも鏡池はとてもきれいです。

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宝光社には、杜のお宝が燦然と鎮座していましたよ。戸隠、お蕎麦もおいしいし、ステキです!写真の整理が追いつかず、写真、ごく一部ですが。

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そばの花、咲くころ 

 


鬼すだく戸隠のふもとそばの花

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小樽へ 

 


小樽に行ってきました。学生時代に一度通り過ぎただけで、年月は経ち、どんな街だったか、記憶はおぼろ。小樽は昔大変栄えた北海道の商都。「小樽へ行けば食べてゆける」と言われ、多くの人や物資が集まった町。運河には人やモノを運ぶ舟が行き交っていました。数多くの大銀行(安田銀行や三井銀行など)の旧小樽支店の威風堂々たる建物がたくさん残されています。 
に、に、日銀の小樽支店までありました!とてもステキな街です!

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どこの家にもある缶詰の缶を作っている北海製罐会社の倉庫


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れっきとした観光客である私は、みんなが写真を盛大に撮っている観光スポットで、みんなと同じような構図の観光写真をたくさん撮りました(笑) 写真の師匠には見せないでおこうっと! きっと顔をしかめるだろうから(笑) けれど、写真家でもなんでもなく、たんなる観光客の私は、やはり有名な小樽運河や石造りの倉庫の写真を撮りたくて、出来はともかく、撮れたことに満足したのでした!

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旧日銀小樽支店の建物

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小樽はガラスの町。ガラス製造が今でもさかんです。

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多くの石造りの倉庫が保存されていて、上のは、ライブハウスに転用され、現役です。

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古い
趣のある建物が数多くあり、楽しかったです。

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補陀落渡海(ふだらくとかい) 那智勝浦にて 

 



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昔むかし、海のかなたの浄土、補陀落(ふだらく)へと、小さな舟に乗って渡海する僧たちがいました。補陀落渡海は、足摺岬など太平洋に面した各地でも行われていたそうですが、和歌山県の那智勝浦の補陀落渡海はつと有名です。けれど、じっさい挙行された捨身行である渡海には、浄土への想いだけでは済まされない厳しい現実が待っていたようです。ちなみに、補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳だそうです。

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 補陀落山寺 (世界遺産)

復元された渡海船
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ふつうは1人だけ乗ったそうです。棺の舟といった感じがしました。同行者がいたことも。どうしても嫌で逃げ出した僧もいたとか。

熊野には、海の彼方に理想郷があるという「常世信仰」があり、それが観音信仰と結びついて渡海が行われるようになったとか。記録に残っているだけでも9世紀から18世紀まで25人の僧たちが渡海。

勝浦に宿泊して翌朝、海辺を歩いてみました。ずっと歩いていくと、岩礁に鳥居が見えてきました。ここは別に観光スポットではありません。地元の人たちだけに親しまれている、弁天島。

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那智
の滝
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那智大社の八咫烏

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那智大社へつづく古道にはレンゲが咲いていました。

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遥かなる熊野  

 


朝の間の 草原のいきれ 疲れゆく 我を誰知らむ 熊野の道に
折口信夫

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先日、熊野古道を歩いてきました。すごく遠かったです。マイルが貯まっていたため、空路で南紀白浜空港へ。そこから熊野を目指しました。上は大斎原(おおゆのはら)。ここにかつての熊野本宮がありました。本流熊野川と音無川、岩田川が合流する木々の生い茂る中州です。

後白河帝、鳥羽帝、和泉式部さんなど多くの皇族、貴族たちが、京の都からこの大斎原を目指しました。後白河さんにいたっては、なんと33回、熊野にいらしています。そして熊野信仰が盛んだった中世、庶民たちも大勢、この地に詣でました。伊勢参りが盛んになる江戸期以前のことです。明治22年、熊野川流域をおそった大洪水のため、水害を免れた四社を移築したのが、現在の熊野本宮大社だそうです。現在、大斎原には大鳥居が立っています。

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熊野本宮大社 (世界遺産)
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神武天皇ゆかりの八咫烏の幟があちこちはためいていました。
八咫烏は、熊野本宮だけでなく、
熊野三社の那智大社、速玉大社でも神のお遣いであり、シンボルです。

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2004年、UNESCOの世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」は広大な地域にまたがっています。いわゆる熊野古道に指定されている道だけでもたくさんあり、今回歩いたのは中辺路のごく一部の10キロほどにすぎません。山奥深く、ひたすら歩いていると、なんか澄んだ気持ちになるのが不思議です。

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網走にて  

 


不器用な男ですから..... 
高倉健

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高倉健さんが亡くなられました。訃報に接して、今年の夏訪れた北海道、網走市にある歴博、「博物館 網走監獄」を思い出しました。写真は、博物館の広い敷地に点在し、保存されている、旧網走監獄ゆかりの建物です。この歴博、敷地が広く、旧監獄などがよく保存されていて、とても充実していました。じつはここの写真、SDカードが不調で半分ぐらい消失しました。残念です。

ここの売店でしか買えないという<
網走監獄 祝出所まんじゅう>を買って帰りました。

私はまだ映画、「網走番外地」を見たことがありません。網走に行って以来、そして高倉健さんが亡くなって、ぜひ見たくなりました。TSUTAYAへ借りに行こうと思います。

合掌
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camera:Fujifilm






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アプトの道のトンネル -碓氷鉄道遺跡 

 



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横川駅~熊ノ平駅間の廃線敷にあるトンネル。碓氷峠鉄道遺産の一部 ↑

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先月妹が遊びにきたおり、いま話題の、新たに世界遺産に登録された、群馬県の旧富岡製糸場を訪ねました。チケットを買うにも並んでいるとの噂を聞いて、遠路やってくる妹が疲れるだろうとも思い、は・は・「はとバス」のツアーで行きました。さすが、世界遺産、それはたくさんのツアーバスが押しかけていましたよ。製糸場に着く前にバスが立ち寄ったのが、碓氷峠近くの鉄道遺跡、通称、「めがね橋」。

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「めがね橋」はわが国最大の煉瓦づくりアーチ橋です。明治25年に完成。アプト式鉄道を支えてきましたが、昭和38年新線開通に伴い廃線となりました。そして現在、この廃線跡の一部が遊歩道、「アプトの道」として散策できるようになっています。このめがね橋、ちょっと前までは、たぶん静まり返っていたのでしょうが、富岡製糸場ブームの余波で、人気スポットになっているようです。

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碓氷峠鉄道遺産には他に、横川駅と軽井沢駅の間に煉瓦づくりの変電所があるそうです。国の重要文化財に指定されており、とてもステキな建物。ああ、そこまで歩きたかったです。でも、はとバスでは、残念ながらこのめがね橋付近だけの散策でした。

camera:Fujifilm




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ピリカな舞 -阿寒湖アイヌ・コタンにて 

 


 天から役割なしに降ろされたものはひとつもない
(カント オロワ ヤク サクノ アランケプ シネプ カ イサム)
アイヌの諺より

アイヌ語で「美しい」は、「ピリカ」というそうです。「ピリカ」っていい響きですね。ちなみに「アイヌ」とは「人間」という意味。阿寒湖のほとりにアイヌ・コタンの一つがあります。そこのアイヌ・シアターでは、阿寒湖のアイヌの人たちが古くより受け継いできた古式舞踊を上演しています。国の重要無形民族文化財であり、ユネスコの世界無形文化遺産。すばらしかったです。詳しくは
ここをクリックしてください。

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上は阿寒湖・アイヌコタンの入り口に飾られた大きなシマフクロウたち。
下は早朝の霧の阿寒湖。先月道東に行ったおりのものです。


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camera:Fujifilm





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安曇野にて 

 


匂い立つような薄紅の衣を身にまとい、静かに祈る巫女さん。 
先日、信州、安曇野、穂高神社での一こまです。

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安曇野は涼しく、しかも水がとてもきれい。
梅花藻(バイガモ)がゆらりゆらり水にただよっています。
花の季節は終わっていました。可愛いバイガモの花、見たかったです。
安曇野、北アルプスを望む(山の方はお天気が悪くあまり見えなかったけど)
山紫水明の里です。

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野辺には道祖神がたくさんあります。 可愛いですね。

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camera:Nikon

休暇中でコメント欄は閉じております。

皆さま、よい夏休みをお過ごしください!



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花の吉野へ  

 


みよし野の 山の山守 こととはん 今いくかありて 花や咲きなん
後醍醐天皇

先日、関西に用事で行ったおり、奈良県、吉野山に行く機会がありました。吉野は千年以上前から、日本一の桜の名所。日本が誇る桜、ソメイヨシノは、この吉野の名を、この桜が生まれた染井村(江戸)の名とともに冠しています。

かの地は、西行が愛した地。多くの和歌がここで詠まれました。そして吉野には、14世紀、後醍醐天皇により、南朝の皇居が置かれました。また修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)のゆかりの地。桜が美しいだけでなく、多くの歴史に彩られた吉野。吉野へ誘ってくれた妹に感謝です。

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吉野は、下千本、中千本、上千本、奥千本と、その標高に応じて次々と開花します。私たちが行ったときは、下千本は満開。中千本は満開間近。上千本はちらほら、奥千本は蕾でした。

吉野には山桜であるシロヤマザクラが主に咲いています。西行が詠んだのは、江戸期後半に開発されたソメイヨシノではなく、この山桜なんですね。 ↓

吉野山 去年の枝折の 道変えて まだ見ぬ方の 花を尋ねん (西行) 

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この吉水神社に南朝の皇居がおかれました。後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒して建武の新政を開始したものの、足利尊氏は離反し、いろいろあったのち、京都では尊氏が推す光明天皇が即位。1336年、後醍醐天皇はこの吉野に転居しました。皇室は南北に分裂。以降、1392年に合一されるまで、南朝の四帝がこの神社を御所としてつかわれました。

ほんとうにここ、山深いところです。きっと後醍醐天皇、寂しかったでしょうね。

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北闕門(ほくけつもん)に後醍醐天皇は朝夕立ち、京都の方の空を仰ぎながら、九字を切られたそうです。今その場所はパワースポットにもなっています。↓

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驚くほど質素な建物です。京都御所とは雲泥の差。

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玉座の間

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若き日の後醍醐天皇の肖像画が残されています。

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役行者(役小角)の像もありました。修験道の開祖とされる日本の初代魔法使い的存在。
役小角は鬼神を使役したそうですよ。近くの金峯山寺は役小角の開基と伝えられています。

そしてあの豊臣秀吉がこの神社でお花見の宴をしました。さすがリッチな秀吉。その折、傷んでいた神社を大改修して現在に至っているそうです。

また、この吉水神社で源義経は愛する人、静御前と数日過ごした後、別れを告げたそうです。兄、頼朝の追討の手を逃れて義経が落ちてゆこうとする大峰山は女人禁制(現在もそうなんですよ!びっくり)。静御前、16歳だったんですって。

吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡ぞ恋しき (切な~~い)
静御前
 
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金峯山寺をのぞむ。 お寺では、日本最大とされる秘仏が公開されていました!クリックすると蔵王権現へ。←本当にすごいですよ! 真っ青に!

吉野は国立公園で、しかもユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。なので、ハイカーや観光客の方がたくさんいました。ただ吉野はとても広いので、上野のような混雑ではありません。

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面白いお店がいっぱいありました。

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吉野には桜をテーマにした食べ物がたくさんあります。

桜味のソフトクリーム。これ桜餅の風味がしておいしかったです。

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椿も満開。

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今回、桜が開花していなかったこともあって、上千本、奥千本へは足をはこびませんでした。なので、吉野をちょっぴり歩いただけです。西行庵のある奥千本のほうへいつか登山できれば、と妹と話していました。

五年ぶりに奈良県に行きました。吉野へ行く途中、おだやかな田園風景が広がり、そのなかに白壁の家が点々とつらなっていました。「大和は国のまほろば」ですね!


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近江路 -湖東三山を訪ねて 

 

葉隠れに 薄紅葉なす 一葉より 全山炎上 してゆくか秋

小関祐子 歌集『Sein(ザイン)』 より


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先日、湖東とよばれる琵琶湖の東、東近江を訪ねました。もみじが色づきはじめていました。昔の近江国である、現滋賀県は、寺院数が日本一(平成23年度版宗教年鑑の統計による人口10万人あたりの寺密度数)。 京都が日本一なのかな?と思っていましたが、滋賀県なんですね。比叡山のお膝元だからでしょうか?

天智天皇が、近江大津の宮に遷都したのが、668年。七世紀半ば過ぎ。いにしえの都が置かれた滋賀県には、琵琶湖を望む小山にはかつて、織田信長が築いた安土城(今は安土城址)がそびえていました。湖東に向かうとき、茶々、初、江(小督)の浅井三姉妹が生まれた浅井氏の居城、小谷城址が見えました。伯父さんの信長に滅ぼされたお城です。

彦根までは行ったことがありますが、湖東は初めてでした。湖東三山(天台宗)と呼ばれる、百済寺、西明寺、金剛輪寺は、それは立派な山寺の古刹ばかり。その幽遠な雰囲気に驚きました。

百済寺(ひゃくさいじ)は聖徳太子の開基だとか。偉容をほこった多くの伽藍が、信長に攻められ、比叡山と同じように焼き討ちされ、灰燼に帰しました。自然石で組まれた石垣はじつに見事! けれどもかつての石組みの多くは、信長が安土城築城のために運び出されたんだそうです。 


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百済寺(ひゃくさいじ)より安土城址(中央)を望む

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仁王門 五木寛之氏奉納のわらじもありました。



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お好きでしたら、五木寛之氏の百寺巡礼をご覧ください。



百寺巡礼 百済寺② はここをクリックしてください。



百済寺のあと、西明寺(さいみょうじ)、金剛輪寺(こんごうりんじ)、などを訪ねました。

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西明寺 石垣

西明寺もまた、信長に焼き打ちされましたが、国宝の本堂や三重塔、二天門は火難を免れて、現存しています。よかった!!


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西明寺 三重塔 (国宝)


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西明寺 二天門の二天王(多聞、広目) 重要文化財 平安時代



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金剛輪寺 三重塔 (重要文化財)



そして金剛輪寺もまた、信長に火を放たれましたが、本堂、三重塔、二天門はその火を何とか免れました。


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金剛輪寺 千体地蔵



今回、湖東三山でたくさんの仏像にであいました。信長の焼き打ちのおり、なんとか避難が間に合って、今日に伝えられた仏さまです。平安時代、鎌倉時代の作が多く、本当にすばらしかったです。写真撮影はもちろん禁止ですが、手が届きそうな近さで拝見できて、うれしかったです。

 
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白川郷 

 



白川郷。なぜみんな、この里に惹かれるのでしょう。あまりに有名な世界遺産の里。初めて訪れて、やはりすっかり魅了されてしまいました。たぶん、多くの人がこの遠い里に、ふだんは忘れ果てているものの、じつは記憶の奥底に潜む、はるかな原風景を呼び覚まされるからかもしれません。


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合掌造りは、屋根裏が二層、あるいは三層になっていて、蚕をここで飼っていたそうです。養蚕は、高度成長期に入る前まで、農村部ではさかんでした。あの「モスラ」は蚕が原型だと聞きます。 雪深い白川郷では、住居と同じ家屋で養蚕をするほうが、合理的だったのでしょうね。



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白川八幡神社で、お神酒であるどぶろくをいただきました。白川郷のどぶろくは、他のどぶろくとは異なり、特別なものです。味も他とは異なるそうです。神社の神官の方たちがつくっていらっしゃるそうです。秋には「どぶろく祭り」があります。私、どぶろくがこんなに香り高く、深い味がするものだとは知りませんでした。


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清流です。昔むかしは、日本のどこでも、こうした澄んだ川が流れていたんでしょう。 赤とんぼが飛んでいました。 白川郷が残っていることに感謝です。



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* 「モスラの精神史」 講談社 より




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